[ 病み人”の宿る財務省 ]
もうかれこれ10年前にもなるが、1999年7月27日の『朝日新聞』の一面に、【日債銀が株損失隠す取引】と書かれた記事が載っていた。その記事には、何とも驚いた事に、『大蔵省(当時)の幹部が、日債銀と債権処理等を巡りいろんな議論をした中に、1,700億円とか710億円とかの損失額はあったかも知れないが、記憶にはない』、と書かれていた。三郎はこの記事を読んで、さすがに唖然とした。財務省の役人は、100億円や1,000億円もの金額は100円か1,000円位の金額としか考えない様で、だから日本国民の反発も意に介さずに、30兆から60兆円もの公的資金【税金】を平気で日本不況惹起銀行に注ぎ込んだのだ。
現在、あらゆる規制を撤廃する市場原理主義から派生したアメリカの【サブプライム問題】・住宅関連融資額12兆ドル(1,300兆円)の一部が遂に破綻して、アメリカも嘗ての日本経済のバブル状況に全く類似した状況に陥っている。アメリカの国債発行額が530兆円の所、【サブプライム問題】に付随する損失額は2兆ドル(210兆円)に達するとも言われ、政府系住宅金融関連大手2社・ファニーメイ、フレディマックの住宅ローン保有保証分が5兆2,000億ドル:530兆円にも達している。金融機関の大手メルリリンチが日本円で2兆円、シティーグループは7,700億円もの巨額損失を出し、他の大手金融機関も軒並み巨額損失を計上している。地方銀行は倒産の噂で、預金引き出し客が殺到していると言う。
アメリカ金融機関が巨額損失を計上したのを受けて、アメリカ政府もこれら巨大金融機関に日本同様何十兆円もの公的資金注入をせざるを得ない所となり、遂に[住宅公社支援法案]を議会で可決した(2008年7月26日)。さすがアメリカは日本より対応が迅速だ。
しかしながら、アメリカ発の金融不安は、原油・穀物市況の高騰とも相まって世界に波及する危険性を伴って来た。既にアメリカ経済は景気リッセッションに突入している状況となっている。歴史は繰り返されている。
これらの事を考えながら、三郎は、ふと昔の絵美との淡い出来事を思い出した。
◇ ◇ ◇
新大久保総合病院に勤務していた三郎は、手術が終わると、殆ど毎日と言って良い位に手術室のナースを何人も誘っては、アルバイトで稼いだ金銭の殆どを財布ごとポケットにねじ込んで、新宿歌舞伎町の行き付けのスナック[美々]に繰り出していた。
「今日の心臓手術はすごかったよなぁ。突然心臓前壁から血液が鯨の“潮吹き”の様に飛び出して来たんだから。能く見たら、何と心臓前壁に小さな穴が開いていた。原因は結局分からなかったが、まあ兎に角驚いたねぇ。器械出しの辻中君もビックリしてしまい、
『先生、血が、血が・・・』って言って、後の言葉が出なかったからね。弁置換術に夢中になっていた大橋さんが、やっと出血に気が付いて大慌てだろぅ? もしあのままだったら、オペ患はステッ(死)ていただろうな。危ない、危ないだ・・・」と話す三郎に、阿久津主任が、
「話は違いますが、そんな先生も、“可愛い子ちゃん”となると、もう“でれーっ”として診察するんですからね。そんな時は説明がいつもより長くなって、待ってる患者さんがしびれ切らすんですよ。先生、気を付けて下さいね」と、言い寄る。
「ええっ・・・?、わたしは、誰だって皆おんなじに診てるぞぉ・・・」
「とんでもないですわ。先生はすぐに態度に出ますから、側で見ているとよく分かります。絵美ちゃぁん、先先、あなたの事を口説くかも知れませんよ・・・。あなた気を付けなさい。大事な身体なんですから・・・」と、阿久津主任に更に追い打ちを掛けられ、絵美はまんざらでもなさそうな笑いを浮かべていた。三郎も、
「そんな事する筈ないだろう!」と言い返し、皆大騒ぎをしながら飲んでいた。
毎日がこの有様で、三郎も幾ら金があっても足りない位だったので、
「こんなにナースを大勢連れて来て飲むんだから、飲み代位はしっかりまけてくれよ」と、マスターに本気で頭を下げながら飲む始末だった。マスターも、他の客からはそれ相当の金額を取ってはいたが、しょっちゅう来てくれる三郎からは損をしない程度の金額を貰うだけで、他では滅多に聞く事の出来ない三郎達が話す病院内の色々な出来事を、一緒になって夢中で聞いていた。
こうして三郎は、仕事が終わると殆ど毎日ナースを連れて歌舞伎町のスナック[美々]に行っては、その日の仕事の事や嫌味な先輩の悪口を言って騒ぎ、カラオケを歌って[美々]に飽きると、今度は他の安い店に移って飲み直していたが、やがて、三郎も懐ばかりが寂しくなって行く自分に気が付き出した。さすがに、飲んで騒ぐ事に辟易してきた三郎は、
《たまには気心の知れたナースでも誘って、二人で静かに飲んでみたい》、と考える様になっていた。
◇ ◇ ◇
手術室にいる大勢のナースの中に、特に目立たない存在ではあったが、控えめでおとなしく、優しさが自然に溢れた少々小悪魔的で可愛い絵美がいた。仕事もかなり出来る絵美は、阿久津主任からも冷やかされた様に、三郎の気に入りのナースであった。
その様な可愛い絵美が、たまたまその日の手術の器械出しの準備をしていた時、側にいた三郎を見てにっこり微笑んだ。絵美のいつになく何とも言えない可愛い微笑みも、三郎は、ドクターに対する仕事の上の挨拶に過ぎないと思った。が、三郎はここ数日、
《誰かナースと二人で静かに飲みながら、二人の世界に酔ってみたい・・・》と自分勝手に考えていた事もあったので、その絵美の可愛い微笑みを見た途端に、ふと絵美を誘いたくなった。お互いに、仕事上軽く言葉を交わす程度だったから、絵美への突然の誘いも笑って断わられるかも知れない。断わられたら『冗談だよ』と言えばよい。三郎はそう考え、思い切って、
「君、二人だけで飲みに行けたらいいなっていつも思っていたんだけど、今夜、皆に内緒で二人で飲みに行かないか?」と、小さな声で絵美を誘ってみた。すると、
「ええ、いいですよ」と、何と、絵美から思い掛けない返事が返ってきた。
「えっ、ほんとに??」
「ええ、私も、先生と二人だけで飲みに行ってみたいと思っていましたから」
三郎は、自分で誘って置きながら、絵美から『よい』との返事がすぐに返って来たので、
「また、また・・・、冗談言って。からかわないでよ」と、逆に慌ててしまった。
「それじゃ、先生は私をからかっているんですか」
「いや、本気だよ」
「じゃあ、私も本気です」
「本当に?」
「ええ」
「よし、それじゃ、今夜二人だけで飲みに行こう」と、三郎は、まあ天にも飛び上がらんばかりの喜びようで、
“うわぁ・・・、やったぜぇ。歌でしか知らない《二人の世界》が今夜実現する”と、職場では何の噂も立たずにしおらしく仕事をしていた可愛い絵美を、独身でもない三郎が他のドクターに先駆けて口説けた事に、内心勝ち誇った思いをい抱いた。
その様な三郎の喜びも本の束の間だった。辺りには誰もいないと思っていたのに、何とこの二人の遣り取りを、《抜け駆けなど絶対に許さないわよ》と、少し離れた場所で多分耳を凝らしてじーと聞いていたナースがいたのである。いつも一緒に飲みに行っていたそのナースは、
「先生、まさか二人だけで行くんじゃないでしょうね」と、三郎を睨み付ける様に皆の前で言い出した。
「そうよ、そうよ。私も行く」
「私も行きたーい」と、他のナース達に口々に合唱されてしまい、三郎が、絵美一人を誘う事が出来たと喜んだその夜も、いつもの様な大騒ぎになってしまった。
それまで酔い潰れた事等のなかった三郎は、絵美との[二人だけの酒席]をふいにされ、自棄(ヤケ)になってグイグイと酒を飲み出したので、その日は誰よりも早く酔い潰れてしまった。酔って朦朧とした三郎を見て、他のナース達もさすがに手を焼き出し、お互いに顔を見合わせながら、
「先生は絵美ちゃんに気があるようだから、絵美ちゃん、先生の面倒を見て上げて」と言うと、酔い潰れたドクターにはもう用はないとばかりに冷たく二人を突き放して、他のスナックに行ってしまった。
◇ ◇ ◇
仲間から取り残された絵美は、酔い潰れた三郎をそのまま一人放り出す訳にも行かずに、途方にくれていた。
「先生、私と飲むのを楽しみにしていたのに、今夜も皆んなが付いて来たので、自棄(ヤケ)になって飲んでしまったんだわ。私、先生の事が好きで、今夜、先生と二人で飲みながら色々話をしたかったのに、先生こんなに酔い潰れてしまって・・・。何で私だけが残されて三郎先生の面倒を見なくっちゃいけないのよ。皆んなずるいわ」と、ブツブツつぶやいていた。しかし、《これでようやく二人になれる》と、内心は絵美も喜んでいた。
喜んだ絵美ではあったが、三郎がこれ程までに酔い潰れてしまったのでは、二人で色々と話をしながらゆっくり酒を楽しむ所ではない。それを見ていたマスターが、
「絵美ちゃん、先生どうするの? 先生、絵美ちゃんが好きな様で、時々俺に絵美ちゃんの事のろけてたよ。この際だから、先生の面倒みてやんなよ」と、言って来た。
マスターから、《面倒を見てやんなよ》と言われはしたが、一体三郎をこれからどうしたら良いものか、絵美は途方にくれていた。絵美に出来る事は、せいぜいタクシーを呼んで、三郎を品川のアパートまで送って行く位だ。その品川までは結構遠い。絵美は、マスターの手前、仕方がない風を装って、三郎を大久保の自分のアパートに連れて行く事にした。《先生と二人だけになれるのは、今夜だけだわ》と思った絵美は、マスターにタクシーを呼んで貰い、
「先生、今夜は私の部屋で二人だけで過ごしましょうね」と、誰にも聞こえない様に三郎にそっと囁いた。
◇ ◇ ◇
酔った三郎はかなり朦朧とした状態ではあったが、タクシーの行き先が単身赴任の品川のアパート方面ではない事位は分かった。酔った勢いで、シート横の絵美に甘えもたれ掛かっていた三郎が、
「あれっ?、どこへ行くの」と、しどろもどろの言葉を出した。
「先生、こんなに酔ったまま一人帰したら、明日仕事に行けなくなるでしょう。全く先生はしょうがないんだから。品川は少し遠いので、今夜は近くの私の部屋に泊めて上げます」と、優しく三郎を抱き留めて返事をした。
「えっ、君と二人だけだと、わたしは君に何をするか分からないよ」
「大丈夫ですよ。先生、こんなに酔っているんですもの」と、三郎が妻帯者でなかったら一緒になりたいと思う程の好意を持っていた絵美は、三郎の言葉を軽く受け流した。
タクシーを降りて、初めて独身女性の部屋に入った三郎は、酔いの中で絵美の小綺麗な部屋を見回し、《さすが独身女性の部屋って、男の部屋とは随分と違うものだなぁ・・・》と、夢心地に思った。
絵美は、酔い潰れている三郎に、
「先生、風呂に湯を入れますから、お風呂にでも入って、酔いと疲れを取って下さい」と言い、かいがいしく三郎の世話をした。その様な絵美は、
《私は、どこかで狂ってしまったわ。先生への[思い入れ]をこの様に為しとげようとしている自分は、許されるのだろうか・・・》と、一瞬とまどいを感じたが、
《ここまで来れば、もう後には引けませんよね、先生・・・》と、また一人呟きながらうなずいた。
三郎は、
「風呂は大丈夫だよ」と返事をしたが、戦前に特攻隊を志願した或る有名な俳優が、
『俺の一番望んでいた事は、仕事で疲れた身体を好きな女の家の風呂で癒し、一緒に酒でも飲ませて貰う事だったが、ついぞ実現出来なかった』、と話していたのをふと思い浮かべ、絵美にバスタオルを取って貰い、身体を隠す様にして服を脱ぐと、よろめきながら風呂に入った。風呂に入ると、
『あの俳優にも出来なかった事が今起きている。この今を、俺は幸せに思って良いのだろうか。いや、これはもう夢に違いない・・・』などと色々考え、温み湯から来るほろ酔い気分を感じていたが、心地よい湯加減にまたもや記憶がおぼろになってくると、いつしか絵美のふわりとしたやわらかい布団にくるまれて、白河夜船とばかりに眠ってしまった。
三郎は、夢の中で優しい絵美に抱かれ、絵美の暑い吐息を肌に感じながら、甘い甘い桃源郷の中に迷い込んでいた。
◇ ◇ ◇
翌朝目を覚ました三郎は、白いレースのカーテンの隙間からこぼれてくる陽光をまぶしく見た。いつもなら、日など全く差し込む事のない自分の部屋で目覚めるので、一瞬、
《あれっ、ここは何処だ?》と、何が何だか分からないでいた。その内に、昨夜の酔いで霞んでいた意識もハッキリしてきて、
《あっ、そうだ。俺は昨夜かなり飲んでしまって酔い潰れ、絵美と二人スナック[美々]に取り残されたんだ。すると、ここは絵美の部屋か・・・》と、ようやく気が付いた。
二日酔いの軽い頭痛を感じながらも、《昨夜、絵美と二人だけで過ごせたんだ》と分かると、もう何とも妙な幸福感が湧いていた。昨夜の出来事を、あれこれとたどたどしく布団の中で思い起こしながら、三郎は絵美の清楚な部屋の飾り付けを見ていた。
「先生、恥ずかしいですから余り見ないでください・・・」と、絵美の声がした。
「あれっ、もしかしたら、ここは君の・・・??」と、とぼけた振りをする三郎に、
「そうですよ。私の部屋です。先生が酔い潰れてしまったので、仕方なしに私が先生をお連れしたんです」
「仕方なしに、か・・・」とつぶやいた三郎に、
「そうではなくってよ。『先生といつかは御一緒したい』、とは思っていたんです」と、絵美は恥じらいの顔付きで、うつむき加減につぶやいた。
「だから先生からお誘いを受けた時、すぐに『いいですよ』って返事したんです」と、絵美は更に言葉を継いだ。
「すると、もしかして、わたしはこの布団で寝ていたのかい?」
「もしかしても何もないでしょう。部屋はここだけなんですから」
「それじゃ、君は・・・」
「そんな事いいでしょう。はい、先生、もう起きる頃と思ってコーヒーを入れて置きました。眠気覚ましにコーヒを飲んで、一足先に病院へ行ってくださいな」と、恥じらいを吹き飛ばすかの様に、絵美は大きな声で答えた。
「君、コーヒーって言ったって・・・、あのぉ、わたしは・・・、夕べ、君に、何かした??」
「厭ですわ。そんなの、有る筈ないでしょう。うふふ・・・」
「そうだよね。もしも君に何かしていたら、もう恥ずかしくって、君と一緒には仕事出来ないものね」
「先生って、意外と初(うぶ)なんですね。先生、素敵でしたよ」と、絵美が幸せを噛み締めるかの様に微笑んだ。
「??・・・」、三郎は、また絵美の微笑みを見たと思ったが、その朝の絵美の微笑みは、三郎同様にすごく幸せそうだった。
◇ ◇ ◇
絵美は、三郎のために、熱いコーヒーだけではなくて、トーストで焼いたパンとサラダまで用意していた。
「君も一緒に食べよう?」と、三郎は絵美を誘ったが、
「今日は私も仕事ですから、先生の後片付けをしながら頂くわ」と絵美が答えた。絵美と一緒に食べられたらもっと幸せに感じたであろうが、三郎は絵美の心籠もった朝食を一人で食べ、すぐに絵美の部屋を出た。
外に出て歩きながら、まるで桃源郷にでも舞い降りたのかと思える様な、淡いほんのりと心温まる絵美との一夜を思い起こし、三郎は、もう絵美とは何年も夫婦でいる様な甘い甘い気分になり始めていた。でも、
《危ない、危ない。これは絵美に対する背信行為だ。やめろ、そんな思い。お前、一体何考えてるんだ・・・》と、自分に言い聞かせた。
「駅はすぐ近くですよ」と言われていたので、少しふらつく足取りで駅に急いだ。
《早く病院に行かなくては・・・》と、切符を買おうと思って財布を捜した。所が、財布がない。
《あれっ、何処へやったのかな??》と、懸命に思い出そうとしたが、前の夜かなり酔っていた三郎は、全く思い出す事が出来なかった。いざと言う時の為にと考え、アタッシュケースに少々の小銭を入れているので、その小銭で切符を買って何とか病院にたどり着いた。
◇ ◇ ◇
職場では、昨夜の事をナース達から冷やかし半分に色々と聞き出されるのを見透かしていたので、絵美とは《くれぐれも内緒にしよう》と口裏を合わせていたが、思った通り仕事を始めた途端に、他のナースから昨夜のいきさつを色々と聞かれた。三郎は、その度に冷や汗をかいた。
《そんなに聞きたいのなら、皆んな最後までいれば良かっただろう》とは思ったが、絵美と口裏を合わた通りに、三郎はその場を取り繕ってしのいだ。
さっさと二人を放り出して他の店に行ってしまった自分らの責任を棚に上げて、 ナース達は、《[美々]に残った二人が、何もなかった筈はない》、と尚も三郎を勘ぐっていたが、三郎ののらりくらりとした返事の前には、諦めるしかなかった。が、最後に、三郎に留めを刺すかの様に、
「先生、昨夜は、まさか絵美さんの家に行ったんではないでしょうね。絵美さん、近く病院を辞めて結婚するんですからね。口説いたりしたら大変ですよ」と、驚く事を言って来た。
「えっ、絵美が結婚???」 それを聞いた三郎は、さすがに驚愕した。
《嗚呼・・・、そう言えば、阿久津主任が、『絵美は大事な身体だ』と言った事があったけれど、この事だったんだ。そんな事とも知らずに、俺は酔い潰れて絵美の家に行き、絵美にすごい迷惑を掛けてしまった。一体絵美は、俺の事をどう思っていたんだろう・・・》と、心の中で詫びるのが精一杯だった。
《もう絵美には会えない》、と思った。
三郎が自分の結婚の話を知ったなどと露程も思わなかった絵美は、三郎を見ると、今し方別れたばかりの甘い余韻を残した目配せを送って来たが、他の者達には全くそ知らぬ顔付きでいつも通りに仕事をしていた。
◇ ◇ ◇
後で聞いた話によると、絵美の結婚話は親からの押し付けで、絵美の本意ではないとの事だった。
「私なら、親の決めた相手なんかとは絶対に結婚しないわ。絵美ちゃん、偉いわね。色々あるんだね」
「そうじゃなくって、絵美ちゃん、自分の意志をはっきり出せないんだよ。いや、言葉悪いけどとろいんだね。愛のない結婚なんて、今時何たって考えられないわよ。でも、プシ(神経症)の弟さんの面倒も見なくてはならないそうで、絵美ちゃん、可哀想・・・」と、ナース達が話していた。
その様な絵美の結婚話は、ナースの間で何度か交わされていたのだろうが、その日まで、三郎はついぞ聞いた事がなかった。それにしても、『今時、親の言う通りの結婚なんてあるのか』と三郎も考え、娘の事をまるで操り人形の様に扱っている絵美の両親に対して、深い憤りを感じていた。
「一体、絵美の家はどうなっているんだろう。絵美も、何も両親の言う事等聞く事はないだろうに・・・」と、三郎は絵美の従順さを思うと、口惜しくてならなかった。何か深い事情の秘められている絵美が可哀想になって、絵美の事が尚一層いとおしくなった。そうは思いながらも、世間には色々と辛い事があろうとも、どうにもならない事の方が遙かに多いのを知っている三郎は、絵美をどうする事も出来ない自分が情けなくなり、鬱屈した感情に襲われた。
一人娘の絵美は、病気の弟を抱えて広大な旧家を継ぐ為に、自から望みもしない結婚話を受け入れる事にした。代々続いた絵美の家風が、絵美を観念させたのかも知れない。絵美は、《本意ではないけれど仕方がない》と諦めたが、このまま何の[思い出]も残さずに病院を辞めるのを忍びなく思っていた。だから、いつも好意を持っていた三郎を、病院勤務の最後の[思い出・心の支え]にして病院を去りたいと考えていた。その為なら、機会があれば三郎を自分のアパートに連れて行っても良いと思っていた。
その様な絵美の[思い入れ]があった事など全く知らないでいた三郎は、やがて、自分の意志とは無関係に結婚する絵美の辛い気持ちを山程察しながらも、十何万円もの金の入った財布を一体何処に失くしたのか、《ああ、財布に入っていた十何万円もの金は惜しかったな。5〜6回は飲む事が出来たのに》と、仕事の合間に尚少々未練げに考えていた自分を恥じていた。
◇ ◇ ◇
それから何ヶ月かが経過した或る日に、絵美が職場を去る挨拶廻りで三郎の所に来た。絵美は三郎の顔を見るなり、またあの微笑みを投げかけてきた。絵美は、誰もいないのを見計らって、
「先生と一緒に過ごしたあの日を、私忘れません」と、そっとささやいた。その言葉を聞いた三郎は、二人で過ごした夜が絵美の意志であった事を知って安堵した。思わず絵美を抱きしめたくなった三郎は、それを我慢をするのに苦労した。取り敢えず、
「お目出度う」と言いはしたものの、そう言った後で、これから絵美は果たして幸せになれるのだろうかと、[絵美に対する不安]が頭をよぎった。熱い思いで絵美を見つめていた三郎は、絵美との息詰まる時間に耐えられなくなり、絵美を傷つける事になろうとは思いもせずに、
「ほら、いつか君の所に行った事あるだろう。翌朝、駅で財布がない事に気が付いて、十何万円位入っていたんだけど、あれ、君の所には置いて来なかったよね?」と、ふと財布の事を絵美に尋ねてしまった。
「まあ、先生ったら厭です事。あの時、タクシーを降りる時に、先生、もうかなり酔っていらっしゃったので『私が支払います』って言いましたら、『いいよ、いいよ、俺が支払う』って、御自分で支払ったんですよ。先生がタクシーから降りて来るなり、私心配していましたから、すぐに『先生、財布大丈夫ですか?』ってお聞きしたんです。そうしたら、案の定『あっ、タクシーに置いてきちゃった。でも、大して入っていないからいいや』っておっしゃったんですよ。『全く、こんなに酔っぱらって仕様がないんですから』って私に怒られた事、もう、先生何も覚えていないんですね。私との事も、何も覚えていないんでしょう。先生、大っ嫌い!!・・・」
そう言うと、絵美は目を潤ませた。
◇ ◇ ◇
三郎にとって、それがあのナース絵美との最後の別れになってしまった。あの優しい絵美の事だから、もしも三郎があの時絵美の部屋に財布を置いて来れば、誰よりも真っ先に三郎に知らせてくれるに違いがなかった。それを知っていたからこそ、三郎は一度たりとも財布の事を絵美に聞かなかったのだ。絵美も、タクシーに忘れた財布の事を三郎は知っていると思って、何も言わないでいた。
それなのに、どこをどう間違ってか、絵美が退職の挨拶に来た時に、三郎は“もう絵美と会えるのはこれが最後か”と思うと、絵美との息詰まる時間に耐え切れず、話題を変えようと、ふざけ半分で未練気に財布の事を話してしまったのだ。
あの夜、自分の意志で三郎を部屋に連れて行った絵美は、絵美自身もかなりの酒が入っていた為に、日頃心から好きと思っていた三郎への気持ちが高じて、『先生、これが最初で最後の夜よ』と、そっとささやきながら、全てを許したのである。絵美にとっては、三郎は、意に添わない男に嫁ぐ前の最後の心の拠り所であった。その三郎から、こうして心の支えをはずされる事を言われた絵美は、一瞬三郎を恨めしく思ったが、三郎が絵美との別れを忍びなく思って、話題を変えようと話をしたのは、痛い程分かっていた。それなのに、絵美は思わず、
「先生、大っ嫌い!・・・」と叫んでしまった。絵美も、叫んでから、その言葉が三郎をひどく傷つける事になるのを思い知り、慌てて心の中で三郎に詫びたが、あの夜、三郎と二人だけで過ごした、熱く燃える様な甘い甘い[想い出]は、
『先生、大っ嫌い!!・・・』、と叫んだ事で断ち切れた、と考えていた。
◇ ◇ ◇
その様な、淡く懐かしくほの甘い絵美との[想い出]をふと振り返って、かれこれ二十年も前に十何万円の入った財布を失くした事すらいまだに忘れられないでいた三郎は、何千億円もの金額をいとも簡単に忘れる財務官僚の言葉を聞くにつれ、こうして迎えた二十一世紀の日本を重ね合わせると、もう腹立たしさを通り越して、
『この大嘘付き目、財務省には“病み人”ばかりがいる!!』と、心の中で叫んでいた。
一方で、あれ程三郎に優しくしてくれた絵美は、三郎がい抱いた[絵美への不安]が的中した訳ではなかったが、結婚間もなく【乳癌】に罹患し、許されない事と知りつつも最後に『もう一度三郎に逢いたい』との一念で生き抜いた事を、三郎は何も知らないでいた。
三郎も、
《いつの日にか絵美に逢えたら、『あの時、君に怒りを買う言葉を言ってしまい、許して欲しい。君の事は、心底好きだった・・・』と、絵美に心から詫びを入れなければならない》と、思い続けていた。
【 騙す 】
この世の生命体は、生き延びる為に、相手を【騙す】場面がそれこそ頻繁に生じているものと思います。私も、生き延びる為の種族保存という、本能的な動植物の【騙し】の手口・《擬態》をテーマに、あれこれ取り上げてみようと考えたものでしたが、診療に忙しく、いまだに実現出来ないでおります。
所で、私の生家には、寝間の欄間に『豈我欺人哉』と書かれた立派な額が掲げられていました。幼少の頃、私など勿論読むことなど出来ない難しいこの額が、寝る度に目に入って来て、何か恐ろしく感じられ、成る可くこの額を見ないようにして目を瞑ったものでした。ある時、父に、
「お父さん、あれは何て書いてあるの?」、と尋ねましたら、父は、額文の意味等まだ私には難しいと思ったのか、
「“あにわれひとをあざむかんや”と読むんだよ」、とだけ教えて呉れました。
『漢字が五文字で、仮名も書いてないのに、大人はどうして“あにわれひとをあざむかんや”と読めるのだろう』と不思議でした。友達に聞かれたら自慢で出来ると思い、その読み言葉を忘れないように、子供心に何度も繰り返して覚えたものです。不思議なもので、額文が読めるようになったら、途端に恐ろしさが無くなり、今度は、きっと偉い人でも書いたに違いない様な何か立派な文字に見えて来たものでした。この額文の意味が分かり、
“含蓄の有る中々の名文句だな”と思ったのは、漢文を習った高校時分の頃でしょうか。
◇ ◇ ◇
大学に入ると、医学部は思った以上に講義が大変でしたが、その割には結構休みが多く、全国各地を廻っては、自由に思いっきり遊んでいました。こうして当時を振り返ってみますと、どの先生方もお思いでしょうが、親のすねかじりでお金こそ無かったものの、あの青春真っ直中の学生時代は最高に幸せな時でした。
その様な大学の休みの時、帰郷しても何をするでもなく、暇をもて遊び気味な折りに、父が好んで聞いていた浪曲・落語のレコードをふと聞く機会がありました。所が、聞く内に、たかが浪曲・落語とは思えぬ、人生を生きて行く上での、色々な教訓を教えて呉れる機微に満ちた人情話しが一杯詰まっている事を知って、正直驚いてしまいました。
取り分け、落語の円生と浪曲の広沢虎造が圧巻でしたが、中でも、虎造の次郎長伝『森の石松一代記・金比羅代参』は、中々に面白く、虎造口伝を空んじる位聞いたものです。その一節に、親分次郎長から金比羅代参を頼まれた、命にも匹敵する程酒好きの石松が、金比羅代参の条件として、
「石や、無理な様だが、次郎長が頭を下げてのお願いは、おめえと言う人は、しらふの時はおとなしいが、酒を飲んだら虎狼、親子の見境いのつかねえ人、行って帰って四百里、三月の間、酒と言うものは笹の露程も飲んで呉れるな。これが次郎長の頼みだ、分かったか」と言われて、石松が、
「親分、わっしと言う人間はね、この広ーい世の中に酒ぐれぇ好きな物はねえ、その酒を飲まねえと一時の我慢も出来ねえ。それを三月も飲まなかったら死んじまう。お前さんだってそうじゃねえか。酒飲むてぇと乱暴な奴と分かって遣って陰で心配するより、あんころ餅食ってニコニコ笑ってる奴が、部屋には幾らでもいるじゃねえか。そいつを遣ってくれぇ」と、石松に代参を懇願する次郎長親分に盾つくのです。すると、次郎長が、
「よせい!!自慢じゃねえが次郎長には六百何拾子分が有る。俺の言う事を厭だと言うのはてめえ一人だ。生かして置いて為にならねえ。命は貰った、覚悟しろ!!」と、刀を振りかざして、もう何とも大袈裟に石松に怒り出すのです。
丁度、襖の後ろで、この次郎長と石松の二人のやり取りを、ニヤニヤしながら聞いていた大政が、頃合いを見計らって飛び込んで来て、二人の間に割って入り、石松を別の居間へ連れて行き、
「おい、石ぃ、てめえぐれえ世の中に正直な奴はねえぞ。てめえの正直は、上に馬鹿が付いている。いいか、お釈迦様が何と言った。“ホントの事をしゃべった為に、人がとんだ災難に遭った、そう言うホントは役に立たない。そういう時には嘘を付け。嘘は方便、所によると宝になる”。親分がああまで言ってお前に頼むんだ。『へい、分かりました。飲まないで行って参ります』と言えば親分も安心する。そうして支度をして、表へ出る。一里踏み出しゃ旅の空。誰も見ている者なんか居やしねえ。そこで、飲みてえ酒を飲む。いよいよ代参が済んで、もう一里で清水だなと思ったら、飲むのを止めて酔いを醒まして、『へい、親分、飲まないで行って参りやした』と言えば、誰にも分かりゃしねえじゃねえか」、と大政が諭します。
「あっ、なーるほど、上手く考えやがったな、馬鹿野郎」、と感心する石松に、
「てめえが馬鹿じゃねえか」、と大政が笑い飛ばします。騙す石松も、騙される次郎長親分も、お互いに騙し騙される事を了解、承知した上で、刀の鞘を納める事が出来たのです。
尤も、「飲みねえ、飲みねえ、寿司を食いねえ」と、親分を騙して道中大酒を飲んだ石松の方は、その酒好きが命取りとなって、金比羅代参の帰り、都鳥一家のこれまた【騙し討ち】に会って、この世を去る羽目になり、石松の仇を取るために馳せ参じる次郎長親分に、この後更に迷惑を掛ける事になってしまいます。
◇ ◇ ◇
これは、当たり前と言えば身も蓋も有りませんが、中々示唆に飛んだ話で、私達も色々な所で応用しなくてはならない場面が有りそうですし、私自身も含めて、この通りの【騙し】を実行なさった先生方も数多くいらっしゃる事と思います。
所が、世の中には、お釈迦様の言う《お互いの幸せ》の為に嘘をつき騙すのではなく、騙す者の身勝手な生き様の為に、相手を騙し、挙げ句の果てには、その人の身ぐるみまで剥いで不幸のどん底に陥れる不逞の輩がいるから大変です。
昨年にも書いたのですが、アメリカの子会社【クレスベール証券東京支店】(外国、特にアメリカの会社なら大丈夫と、日本人はすぐに信じて騙されやすい)が、いずれ必ずや破綻する事を承知で、売れもしない【プリンストン債】を、高利回りを謳い文句に各方面に騙して売り出し、大手商社の丸善や、家電メーカーのアルプス電気、ヤクルト等を手玉に取り、ヤクルト副会長などに僅かなリベートを支払って、全国から千百三十八億円もの金を集めてとうとう破綻させ、有名一部上場企業の決算をグラつかせた事件が有りました。騙された所はそれこそ多数に上った事でしょう。某所の医師会も、この詐欺会社に関わって騙された様です。
然るに、当時この外国投資会社を、いとも簡単に認可した大蔵省証券業務課担当者は、マスコミから責任を問われ、
“何故認可したのか、二年以上も前の事で全く記憶にない”との無責任極まる談話をすかさず出していましたが、ロッキード事件の折りに散々聞かされた“記憶に御座いません”等と言って忘れる筈など有り得無いでしょう。これとて、許認可を得る為に、大蔵省証券業務課に対して、クレスベール証券東京支店から何らかの工作が為された事は明白に違い有りません。
◇ ◇ ◇
この八月末、得体の知れない【クレアモントキャピタルホールディング投資会社】の古倉代表に、“偽金”ならぬ山と積み上げた“偽の外債”を見せつけられ、まんまと八十五億円も騙され詐取された天下の大正生命保険会社は、その結果、事業の継続が困難となり、これまた、嘘で塗り固めた様な大蔵省からさえ破綻処理業務命令を受ける有様です。【クレアモントキャピタルホールディング投資会社】も、これを受けて、今になって関東財務局から六ヶ月間の業務停止命令を受けています。
雪印の食中毒問題、三菱自動車工業の騙しのリコール隠し、正直の手本たるべき警察署の内部グルミや警察官個々人の国民騙し、医療事故を騙して隠したり、最たる物は、国民の懐を直撃するような金融失敗に絡む政府、官僚、政治家の国民騙し、国益を損なう対米従属外交の下での国家による国民騙し、でしょう。“頭隠して尻隠さず”の如く、殆どの様にアメリカ側から暴露されて、明からさまになった外交密約問題を、それでも尚かつ、国民を騙し白を切って通用すると考えているのです。
例えば、日本外交で大問題になった一九六十年の時の『日米安保条約の“核持ち込み”に対する密約問題』、一九七十年当時の沖縄返還時の米国と取り交わした返還費用裏密約問題等、遂に、本家の米国国務省文書からそれらの存在が明らかにされて来たにも関わらず、藤崎外務省北米局長コメントは、『日米安保条約に密約は一切存在しない。これについて、米政府に問い合わせたり日本政府が此の件に関して調査する事も無い(2000.8.30.朝日)』と騙し続けている嘆かわしさです。日本は、一体どうなっているのでしょうか。政権に恋々として、国民を欺かなければ政権を維持出来ない所から来るのでしょうが、何とも情けない日本の現状です。
まあ、何れにせよ、個人、集団がらみ、会社・宗教、国家がらみによる金権、政権欲に絡んだ【騙し合い】ならぬ一方的な【騙し、詐欺、搾取話】は、テレビ、新聞のニュースにしょっ中報道され、一度や二度に関わらず、どうしてこうもいとも簡単に、人や会社、国民が騙されるのだろうかと不思議な位、浜の真砂の様に次から次へと出てきて、挙げ句は殺人事件や国家間の戦争状態にまで発展するケースも有り、それこそ驚かされてしまいます。
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私も、人を疑う事等しなくて良かった高校時代の延長で大学に入った頃、或る日、思いも掛けずに、高校の同級生が、広大な大学のキャンパスにいた私をどうやって捜し出したのか、見つけ出して駆け寄り、声を掛けて来たのです。後で解った事ですが、私を騙しに掛かって来たのですから、私を捜す事など朝飯前だったでしょう。その時何も知らないでいた私は、もう、ビックリするやら懐かしいやらで、何年ぶりかの邂逅ですから、嬉しくて下宿先にその友人を連れて帰り、金も無いのに接待したものでした。
所で、また、どうして私の学んでいる大学にまで訪ねて来たのか、高校卒業後も親しく付き合っていたのは、その友人以外の数人位でしたから、その点不思議に思い、それ程親しくは無かったその友人に、何故来たのかを尋ねました所、
「実は、兄が腎臓の病気に罹って、入院する羽目になり、自分も交通事故を起こし、罰金を科せられ、金に困っている状態だ。何とか、一万でも二万円でもいいから、金を貸して貰えまいか」、と言う事でした(花柳界の女性の、“弟が病気なの、どうすれば良いかしら?”等と言う身の上相談、金銭相談はまず食わせものです)。
その友人の話の切り出しで、十万円とかの金額かと身構えた私は、友人の話しの内容に比較すれば何とも小さな額でしたので、一安心するやら、複雑な気持ちでした。とは言え、私も貧乏学生、その時は一万円位しか手元には有りませんでしたから、
「お前、俺だって親の仕送りの身だ。今、手元には一万円位しかないぜ」、と言いますと、「それでいいよ」との返事。
「そんな事言ったって、一万円では、汽車賃払ったら、後幾らも残らないだろう?」
「いや、一万円で充分だ」、とその学友がすぐにでも金が欲しい顔をして言います。そんなに困って逼迫している様な顔つきで言われれば、尚更、一万円と言う訳には行かなくなって、
「それじゃ、少し待っていろや。前借り等した事無いけど、家庭教師の所へ行って、前借りを頼んでみるから」と、まるで石松の様に、馬鹿の上塗りをしようと考えていました。
「そんな事までして貰っちゃ悪いから、手持ちの金だけでいいよ」
「いいって。せっかく俺を頼って来たんだろう。何とかなるさ」
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その足で、バイトの日でも無いのに、突然、何の前触れも無くバイト先のその家庭教師の家に行った私は、教え子の母親にどの様に言って前借りを切り出したら良いのか、迷っていると、もう、私の心を見透かしたかの様に、
「柳田先生、今日は今時分、一体どうしたんですか。何かお困りな事でも出来たのですか」と、バイト先の母親が、すぐに私に問いかけて来ました。
「実は、面目無いのですが、前借りをお願いに来たんです」
「えっ?まあ、また柳田先生に限って、お珍しい事」
「ええ、私も、こんなお願いは初めてです」
「先生の事ですから、幾らでもお貸ししますが、一体お幾らですか」
「二万五千円程・・・」と、私も初めての前借りのお願いで、恥じらいで声もかすれていました。当時の家庭教師のアルバイト料は、週に一度で一万五千円位だった様に思います。
「まあ、私は何十万円と言う金額かと思いましたよ。でも、こんなに急で、一体何にお使いになるのです?
差し支えなければ、話してみて下さいな」と、私の前借り依頼なら、二万五千円の端した金とはバイト先の母親も考えなかったのでしょう。心配そうに私に問いかけてきました。
「実は、この金は、私が必要な訳ではないんです。今日、たまたま高校の時の同級生が大学に尋ねて来まして、『金に困っている』と言うものですから、何か気の毒で、私も、まさかそんな事で友人が今日来るとは思いもしませんでしたし、持ち合わせも一万円位しかなく、実家から今日すぐに金を送って貰う訳にも行きませんので、こうしてお恥ずかしい事ながら、前借りに伺った訳です」、と返答しました。
私も、他人の為に、こんな初めての前借りをするなんて、やるせないなと思う反面、自分が困窮した挙げ句のお願いでもない事に幾らかの誇りめいた物を感じていました。とは言え、ひっきりなしに続く自分のこれ程迄のお人好しに、自分自身呆れてもいました。
「その方に、この二万五千円をお貸しするのですか?」
「いや、それと、私の持ち合わせの一万円とで、三万五千円程貸そうと思っています」
「まあ、柳田先生、そんな話では、お貸しするのは止めなさい。【騙され】ますよ。仮にお貸しするにしても、この二万五千円だけにして置きなさい」、と即座に私に言い返して来ました。
「高校の時の友人です。私を【騙す】為に、わざわざ前橋までは来ないでしょう。幼な友達でもあり、高校迄一緒だった友情の絆が有り、私は友人を信頼します。もし、仮にその友人に騙されようとも構いません」、と、私達の友情をまるで信用しない大人の言質に、かなり反感の気持が湧き、まだ世間の悪に染まっていなかった正義感あふれる私の返答をこれまた即座に返しました。
「柳田先生が、そこまでおっしゃるのでしたら、私もこれ以上反対はしませんが、もう、このお金は返って来ませんよ」と、さすがに今思えば、人生上散々苦労して、様々の経験から培ったその母親の愛情溢れる私へのアドバイスでした。
いつの時代でも、若くて青二才の頃は、大人の言う事等まるで信じない時があるものです。現代とて、両親の散々苦労した人生上の経験則から、我が子を言い聞かせ、納得させる事さえ、これまで以上に大変な時代になって来ています。その様な、自分本位の生意気で純真(?)で一本気な時代を経験し、様々な人生上の学習を積み重ねながら、人は汚れながらもやがて逞しく成長して行くのでしょう。或いは、途中で挫折してしまう事が有るかも知れません。
ついでながら、あのように心優しかったバイト先の母親も、私が医師になって間もなく、症状が出た時には手遅れのケースの多かった《胃スキルス》であった事が判明し、医師に成り立てで診断を付けた私も、得意だった反面、たまらなく悲しい思いをしたものでした。
ある時、別の病院で仕事をしていた私に連絡が入って、母親が亡くなる間際の病床に飛んで行った私は、臨終間際の母親に手をしっかりと握り締められ、
「息子・・・息子の事を、医師に出来るものなら、何としても宜しくお願いします。きっと、きっとですよ・・・」と最後の遺言を頼まれてしまいました。彼の母親の、今にも旅立っていく臨終間際のあの必死な顔付きも、いまだに忘れられません。
その遺言は、私が懸命になって御子息を教え、達成しようとしましたが、息子さんの意志が弱くて、とうとう果たす事が出来ませんでした。
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所で、その友人は、知り合いと言う知り合いを次から次へと訪ね廻り、借金しては踏み倒して行く寸借詐欺師に成り下がっていました。一人から二〜三万円寸借詐欺をしたとして、百人や二百人位は騙せたでしょうから、一回限りの騙しの手段としても、当時としてはかなりの額をせしめた事と思います。
私も、馬鹿の付く程お人好しこの上なく、ただ単に高校の友人と言うだけで、赤の他人に、自ら前借り・借金してまで馬鹿の上乗せまがいに金を貸す羽目になってしまいました。
自分で、“馬鹿だな”と思う反面、前借りした母親から即座に“騙されますよ”と言われた事が何となく頭の片隅で気になり、この際、後々の為にきちんと話だけは付けて置こうと考えて、本の少し、疑いの目を抱きながら、
「お前、俺がこれ程までして金を貸すんだ。高校迄のお互いの友情を裏切るなような嘘だけは付かないだろうな。お前の連絡先を控えるとか、利息などと野暮な事は言わないから(と、この場にに至っても、精一杯の恩を着せながら)、催促無しで必ず返して呉れよ」、と友人を傷つけない様に言いましたら、瞬間、私の顔をまともに見る事の出来なかった友人の気配を感じて、心なしか【こいつめ、騙しかな】と、ふっと気になったものでした。
友人に貸した金への当然の返還要求をするのに、これだけ気を遣って話したつもりなのに、【無職、住所不定】だった友人は私を騙しに掛かっていたのですから、この様な相手を傷つけないようにと配慮した私の返還要求など何の足しにもならず、私も大馬鹿が付く程無駄骨をしていたのです。友人は、その儘目を伏せて、精一杯の【騙し口上】で、
「必ず返すから大丈夫だよ」とすぐにその場を取り繕って私に言い返して来ましたが、あの時の詐欺師に成り下がった友人の表情が、三十年も昔の事なのに、いまだにこうして鮮明に記憶に蘇って来るのです。
命の次に大切な金(と父親が能く言っていたものです)の事なら、遙か昔の事でも、こうしてかなり鮮明に覚えているのです。過去に起きた金銭に絡む出来事なら、何年経過しても忘れる事など有りません。
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栃木県医師会創立50周年記念誌『温故知新』にも《呼び戻された記憶》と言う表題で寄稿させて頂きましたが、日債銀の巨額損失の件では、絶大なる許認可権を持ち、銀行を監視すべき大蔵省幹部が、いとも簡単に「千七百億円の損失額等全く記憶に無い」等と平然と述べていました。私には大蔵省幹部のいつものあからさまな【騙し】としか考えられません。その様な胡散臭い自己責任の感覚も無い民間の日債銀、長銀(責任を取らせて、清算させれば良いと私は考えております)に、これまた何と十一兆円もの国税を国民騙しの下、日本の為政者はこの二年間に注ぎ込んだのです。《長銀と日債銀は、普通行とは違い、破綻時の預金保護対象ではなかった金融債を中心に資金の運用をしていた為に、政府は、日本発の金融恐慌阻止の名目で、『金融債保護条例』を急遽立案し、この二度と戻らぬ二行の不良債権である金融債保護の為に、十一兆三千二百億円もの国税(国民一人当たり九万円の負担)を投入、2000.9.2.朝日新聞要旨》したのです。この十一兆三千二百億円を医療・福祉・消費税減額に注入すれば、日本の景気はもっともっと良くなっていたでしょう。
政治家が、幽霊政策秘書を国会に置いて、その給与二千万円を国費から騙し取って遊興費に遣うとか、国民の税金である政党助成金(日本共産党は、憲法違反として受け取りを拒否)を、選挙に必要として国民を騙して山分け分配したり、『もう、三年も前の事なので、政治資金として幾ら貰ったか全く記憶に無い。相手が間違った事を言っているのだろう。知らぬ、存ぜぬ・・・』、等と言う一部の政治家共の言辞も、虚言、騙しに満ち満ちていると言っても過言ではないでしょう。
その友人は土蔵の建つ肥料屋の二男坊で、私もまさか友人(?)がそんなに落ちぶれていたとは考えもしませんでした。その後、生家からは勘当されたとの風聞を耳にしましたが、近代法にもそぐわない【勘当】と言う両親の我が子への対応は、息子の借金返済への責任逃れとしか考えられず、その友人の両親さえも許し難いと思ったものでした。
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また、手形の怖さ等何も知らなかった開院当時、
「手形は、切るだけで、院長に決して御迷惑はお掛けしませんから・・・」と騙されて(?)、或る問屋さんに薬代の買い付け金二百万円もの手形を、毎月二年間に渡って切らされて、その結果、月末に待った無しの二百万円の支払いをさせられ、迷惑所か、もう身を削られるような大変な思いをした事や(勿論、その問屋さんとは、手形を決済し終えれば縁を切るでしょう)、或る医療器械屋さんに、二百万円とか四百万円の借金こそ断ったものの、納品になった一箱三十万円ものガーゼを二箱寸借されて、逃げられてしまった事、メーカーのプロパー(現MR)さんの売らんかなの口車に乗って、薬品を購入させられた直後に、遠方への転勤で甘酢っぱい約束を反故にされた事、痔の術後輸液の件で、
「私の所だけと言って査定をするのなら、その明かしをして欲しい」、との私の度重なる要望も聞き入れずに私を欺き、まるで最高裁の判事の如く、
「こんなに輸液をしているのは、あんたの所だけだ。術当日は二千、翌日千五百、以後
一千、五百ミリリットルとする」、と或る審査委員氏に輸液量を長年にも亘って査定された事、糖尿病の治療で通院していた隣の町の或る議員さんが、
「《ヴァイアグラ》を飲まなければ『あれ』が出来ない」、と依頼して来ましたので、“議員ともなると、糖尿病を隠してそこまでするのか”とさげすみつつも、昔の【騙された教訓】も忘れ、議員をしているから大丈夫だろうと、議員と言う身分に騙され、扱ってもいなかった《ヴァイアグラ》を取り寄せてその議員に手渡した所、彼の議員は、《ヴァイアグラ》を手にするやそれっきりで通院を取りやめ、いまだに当院に金も払わずに逃げ回っている《町議会ニ掛ケ合ッテデモ、今度ハ必ズ借金ヲ取リ返スゾー》等、
♪♪善人な私を騙した奴が悪いのか、騙された私が馬鹿なのか♪♪、まるで西田佐知子の歌う歌謡曲みたいな心境です。
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或る時などは、 気に入った夜の蝶目当てに散々お店に通いつめて、
「先生、次の日には、きっと二人切りでお逢いしましょうね」等と、目当ての蝶々にそっと囁かれ、騙されているとも露知らずに、半信半疑ながらもはやる気持を押さえながら鼻の下を長ーく伸ばしてお店に行った所、
「お花ちゃんは、もう、先生が来た後、すぐに辞めましたよ。・・・オ馬鹿サンネ・・・」との、ママさんの冷たい言葉と視線を浴びせられた事等も、信じた方が悪いので、別に損害を被った訳では有りませんから、今にして思えば何ともたわいのない儚い思い出です。
こうして、私も、色々騙された事にはそれこそ枚挙に暇も無い程の経験をしております。それだけに、我が子にだけは、この様な経験はさせたくないと、常日頃考え考え教えるのですが、こればっかりは、騙される事を実体験で、身を持って子供にでも学習させない限りは、修得させられないかと、自分のこれまでの色々な体験から考えている所です。
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いよいよ、この先、人生も押し詰まって来た今日この頃、好き勝手に生き、この世は永遠に自分の為に有って、進級試験以外は何も心配する事等無いと考えながら毎日を暮らしていた、あの最高に幸せだった学生時代に、当時の私にとっては大金であった三万五千円もの詐欺体験、それも、純真な感情を持ち続けていた高校時代の友人から受けた何とも言い様の無いつらい体験、世間のほろ苦く汚れた体験を初めて味わわされた事を、こうしてふと思い出しております。
尤も、この様な体験、経験が有ったからこそ、それ以後の様々な騙しの手口を見抜く目が少しは養え、その後の私に対する何百万円、何千万円もの借金や色々な借金の保証人依頼を断る事が出来たのでしょう。今となって振り返って見れば、あの時の三万五千円は、或いは安い授業料で有ったのかもしれません。また、その様に考えなければ、私自身、浮かばれなかった事でしょう。
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幼少の頃は、今にも死にそうな虚弱体質だったと言う私が、現在もこうして何とか無事に生き永らえて、患者さんに喜ばれながら仕事の出来る身に、日々感謝している毎日です。
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